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近現代宗教研究批評の会・会報 第6号 1997/10/18


活動経過

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第18回月例会

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1997年5月24日(土) @上智大学

十津守宏氏 (成城大学大学院博士前期課程)
題目「創られたイエスのメシア像」

要旨: イエスの受難物語は史実ではなく、原始キリスト教の担い手らにより「創り出された」ものである。このことは、4つの福音書の成立過程を文献学的に検証し、イエスの受難物語のプロットがバアル神などの豊穣神の「死と再生」神話(地底下降型神話)と酷似することを指摘することで裏付けられる。そして、イエスのメシア像はユダヤ教のイザヤ書などに預言されているメシアを原型として創出されたものであり、違った見方をすると新約聖書におけるイエスの受難物語の成立と解説のためには、旧約聖書全体が要求されているのである。ユダヤ教の周縁から発生したと考えられるキリスト教は、自らの「真正」さの確立のため、ユダヤ教の伝統に従った形でのメシア像をナザレ人イエスを通して表象しているのではないかと考えられる。この構図は近代国家における「伝統の創出」という構図と一致するのではないだろうか?

またイエスの受難物語を検討すると、オリジナルであるバアル神の「死と再生」神話と比して明確な不可逆性を読みとることができる。これは、バアル神話が表象する円環的終末観を突破する形で成立した直線的終末観が、イエスの受難物語に反映されている結果であると考えられる。それゆえ、イエスの受難物語は、当時の民俗宗教などのブリコラージュ断片をつなぎ合わせた形で成立しているが、シンクレティックなものであると見なすことはできないのであり、直線的終末観を志向するキリスト教独自の方向性を持っているのである。

討論では以下のような質問が出された。

(1)「伝統の創出」という観念は、近代における国民国家という共同体を背景に展開されたものであり、それを無条件に古代のメシア運動に当てはめるのは短絡的ではないか?確かに、時代背景を無視して単純に用いるのはまずい。一方で「神の国」という共同体を考慮することで、類似性を見いだせる可能性もあるのではないか。

(2)福音書などの成立過程に対する考慮が不十分ではないか?時期によるメシア運動の展開と変化も考える必要があるだろう。

(3)キリスト教がユダヤ教の周縁から出発し、異邦人伝道に力点を置いているのなら、なぜユダヤ教の伝統を重視する必要があったのか?これは、初期の福音書の著者たちと、パウロとの理念の差により説明可能ではないか。

黒崎浩行氏 (國學院大學日本文化研究所)
題目「固有性の把握をめぐって―堀一郎の日本仏教文化史研究―」

本発表の狙いは、宗教学(宗教研究)は何を根拠として研究領域の固有性を主張してきたのか、ということを批判的に検討することにあった。そこで堀一郎の初期の上代仏教研究を題材にして、それが西田直二郎の影響を受けたある意味で普遍主義的な「文化史」的なものから、堀が所属していた機関の「国民精神研究所」という名称にも端的に現れているような、より国家・民族主義的な「日本精神史」的なものに変化していった過程が描かれ、さらにはその過程においてもなお西田の提起した「自己反省の意識」が認められることが述べられた。そしてまた、このことは研究者の言説が時代状況に左右される一つの事例を示していると同時に、逆にそれが「日本仏教」という現在では一般的に用いられるような概念を生み出すという効果も持ち得たという見方があることが示され、さらには宗教学(宗教研究)の学問としての固有性は堀においては、堀が研究対象とした(あるいはせざるを得なかった)「国民精神」というようなところに顕在化しているということが述べられた。

討論では、特に西田直次郎の「文化史」や堀の関わった「日本精神史」がいかなるものであったのかという点について、和辻哲郎の視点との比較や大正から昭和初期にかけての「国民国家」化が急ピッチで推進されたとされる当時の日本の学問状況との関連が論じられ、さらには堀が奈良仏教を取り上げたことの仏教史学上あるいは思想上の意義、意味が話し合われた。

第19回月例会

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1997年6月21日 @東洋大学

松本由紀子氏(東京大学大学院)
題目「大都市における先祖祭祀と「家移動」」

本報告では中野区の一寺院における先祖祭祀意識に関するアンケート調査とその後の面接によって、報告者は個別の家の「家移動」の在り方、及びその具体的な状況と担い手における「家の規範意識」や先祖祭祀に関する意識を考察された。まず、伝統的な規範の拘束力が担い手の状況により減じ、主体的選択が先祖祭祀の面でもなされる可能性が指摘される。また、家移動に関しては移動の距離よりは移動した世代が、移動時の様態や移動後の定着性に影響している。そして、定住傾向は長男への同居扶養期待や家永続への願いなどと関連し、先祖祭祀においても伝統的形態遵守の意識と関連する。流動傾向は「家の規範意識」の風化・解体傾向と関連するとともに先祖祭祀を状況に合わせることを容認する傾向と関連する。以上のことから、まとめとして、定住と家業、さらに本家分家関係における相互援助・規制などの関係の維持が困難となる状況下、伝統的規範に替わって、次世代への思いやりとも言える意識が新しい価値観として考えられるのではないだろうか、ということが述べられた(なお、この発表の全文は『宗教と社会』3号に同じ題名で掲載されている。)。

討論では、先祖祭祀の問題として散骨を取り扱うことの有効性について質問があり、家の墓と理念的に対極にあるとの筆者の見解によるとの応答があった。ただし、魂の行方などに関して散骨を実際に行っている人たちがどのように感じているか、散骨自体がまだまだ少数であることなどの問題点も残されているらしい。次に調査内容の詳細が研究ノートの中で明らかになっていない点が問われ、仏壇関連や墓参などの質問項目もあったこと、対象者の年齢による回答の差があまりなかったことなどが答えられた。さらに、「新たな規範意識」として思いやりが提示された点などの議論が行われた。

平良直氏(筑波大学大学院)
題目「神歌における神話的始源−シバサシにみる世界創造とその存在論」

本報告の基になった論文は『宗教研究』312、1997所収の同氏による論文「神歌における神話的始源−シバサシにみる世界創造とその始源的存在論」でであり、同誌には論文要旨が掲げられているので、これを引用する。なお、これは本報告のレジュメの「はじめに」に記載された文章でもある。

「神歌とは琉球諸島の共同体における、雨乞い、世の安寧、豊穣を祈る祭祀の場で、あるいは王権を支える儀礼において、神女たちによって歌われてきた宗教的歌謡・唱えごとである。折口の文学発生論以後、その影響を受けた文学研究や、民俗学等において、神歌はしばしば「予祝儀礼」、「呪言」、「言霊信仰」といった概念で解釈されてきた。神歌が文学的対象である前に、宗教的なるものである以上、宗教学の側からさらに問われるべき点は、この神歌が発せられることが、なぜ「予祝」することを意味し、「力」として捉えられるのか、また、そのような「力」によってなされる行為の中にはいかなる宗教的意味が解釈可能かということである。

本稿では、神歌はそれが歌われることで神話的世界を現前させるとする古橋信孝などと同様の理解から出発し、神歌の神話的祖型の反復、始源的な存在論の視点から、「予祝」、「呪言的言語」といった解釈にとどまりがちであった神歌、あるいは神歌と関連する儀礼の理解をさらに展開できないかを、「年中行事」の一つとして広く知られるシバサシを取り上げ検討し、解釈を試みる。」(p.31より抜粋。)

討論では、シバサシという儀礼過程全体の記述、さらには儀礼を行う人々の持つ世界観の民俗知識論的分析、さらには彼らの構成する社会構造の社会人類学的分析なしに、「シバサシにおける神歌は世界創造の神話的祖型を反復している。」というような解釈が成り立つのか、それはエリアーデ的な宗教現象学の結論を単にこの神歌というテクストの解釈に当てはめただけではないか?という当然問われるべきであろう疑問が出された。これに対し平良氏は馬淵東一や渡邊欣雄といった社会人類学・民俗知識論の沖縄研究を決して無視している訳ではないが、古橋の歌謡論や馬淵・渡邊のそうした研究とは異なる第3の視点を追求すべく、あえて宗教現象学的な解釈を試みた、ということを述べられた。その他、資料中の都合の良いところを組み合わせて、解釈枠組みから外れているところは恣意的に無視していると思われる点があることなどが疑問として提議された。


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Last updated: Oct 20, 1997.
編集: 平山 眞
黒崎 浩行 noir@st.rim.or.jp