〈私の研究視点〉デスクトップ宗教学は可能か

(『国際宗教研究所ニュースレター』17(97-4)、1998年1月、12-13頁、掲載)

黒崎浩行 (國學院大學日本文化研究所専任講師)
hkuro@kokugakuin.ac.jp

大学院修士課程に入った翌年の1990年から1992年にかけて、私はパソコン通 信にハマっていた。このころ、大手商用パソコン通信サービス「ニフティサー ブ」の会員数は20万人を越えていたが、こうしたコンピュータ・ネットワーク はまだ一般の耳目を集めるものではなかった。それでも当事者たちは、SIG (Special Interest Group) とかフォーラムと呼ばれる電子会議室システムや、 チャットと呼ばれるリアルタイム文字会話システムの上で熱心にコミュニケー ションを交わしていた。

宗教に関する話題交換も盛んであった。私の主な活動の場はある中規模の商 用パソコン通信ネットだったが、1990年に宗教 SIG が開設された。私は怠け 癖も手伝って、そこで交わされる膨大な量の発言を前に「アームチェア宗教学」 ならぬ「デスクトップ宗教学」を夢想していた。というのも、眼前で交わされ る発言はディスク上に「ログ」として保存されるものと等値であり、ログによっ ていつでも発言の流れを遡って眺めることができるからだ。この特徴は、当時 「宗教言語と共同体」を研究テーマとしつつ、そのフィールドと方法論を模索 し逡巡していた私にとって、まったく新しい調査研究の大きな可能性を開くよ うにも思われたのだ。

しかし宗教 SIG は何度かの激しい論争を経たのち、やがて沈滞した。その とき私は一方でパソコン通信という文字のみを媒介とするコミュニケーション の困難さ、未熟さを痛感したが、他方で、そこでの宗教をめぐる話題が多くは 教理体系や観念の争いに終始したのを見て、生の現場における宗教のはたらき に本質的に結びつくものにはなりえないのではないか、という疑問を抱いてい た。そして私自身もしだいにパソコン通信から遠ざかり、別の研究フィールド を求めていった。

ところが、1994年ごろから再びコンピュータ・ネットワーク上の宗教に注目 せざるを得ない状況が訪れた。その理由の第一にはやはりインターネット・ブー ムが挙げられる。一千万台以上のコンピュータが接続された世界規模のコンピュー タ・ネットワークのうえで、文字ばかりでなく画像を含んだ情報の発信が個人 や小規模な集団でも手軽にできるようになった。商用パソコン通信サービスも 淘汰が進み、大手のニフティサーブは会員数255万人を抱える一方で、中小の 商用ネットは消滅していった。このようなコンピュータ・ネットワークの飛躍 的な拡大にともなって一般社会の注目も集まり、パソコン通信上での誹謗中傷 に対する訴訟や、1995年1月に起こった阪神大震災の救援ボランティア活動に パソコン通信とインターネットが活躍したことなどが、マスコミに大きく取り 上げられるようになった。私がかつてコミットしていた1990年代初頭にはまだ 萌芽的、理想主義的だった、コンピュータ・ネットワークを公共圏ととらえる 発想も、徐々に広がっているように思われる。

こうした状況の変化により、一部の熱心な層のみに限られていたころとは桁 違いの人々を巻き込んで、宗教をめぐるコミュニケーションがコンピュータ・ ネットワーク上で行われつつある。それがどのような意味をもつのかを見定め る用意を本格的に始めるべき時期に来ているように思う。

ただし、かつて「デスクトップ宗教学」という形で夢想していたような調査 法は再考を要するだろう。パソコン通信のような多対多のコミュニケーション 空間には、議論に口を挟まずただ読んでいるだけの ROM (Read-Only Member) という人々がいる。よく発言する集団と ROM との差異、さらにはコンピュー タ・ネットワークを利用しない人々を含む一般集団・既成集団とのギャップは 看過できない。コンピュータ・ネットワークのもつ双方向性という特性が、宗 教権力の変容をめぐってもしばしば楽観的な期待を抱かせているだけに、この 点を現実的に認識できるようなアプローチを開拓していかなければならない。

まだ緒についたばかりのこの研究に、皆様のご教示・ご支援をお願いしたい。


Last updated on: Apr 24, 1998.
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Hiroyuki KUROSAKI
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